昨日は岡崎市内の岩津町へ。
本当は少し遠出するつもりでしたが、
どこも道が混んでおり、
面倒臭くなったので予定変更。
おまけにカメラを忘れたので、
撮影はスマホ、XPERIA 5Ⅱ。
親柱の牛が目立つ青木橋
岩津天神の牛かな。
百々町にクルマを駐めて歩きます。
青木川
目的地 その1
普通に個人宅の庭です。
ちょっと近寄り難い。
本多平八郎忠勝生誕地の碑
スマホの望遠では、これが限界。
徳川四天王の一人 本多忠勝。
本多家は松平二代康親に仕えて以来、
松平家に仕えました。
祖父 忠豊・父 忠高の代は、
ここ蔵前に居住し、
1548(天文17)年に忠勝が生まれました。
岩津町の火の見櫓
岩津天神の大鳥居
智教院
参道脇にありますが、お寺かな?
向かいの印鑑屋 天晃堂と
同じ看板だけど…
信光明寺
山門
山門から先は保育園で入れません。
保育園を挟んで向かいにある門
本堂
浄土宗 岩津山 信光明寺
岩津城主の松平3代信光が
1451(宝徳3)年に祖父親氏・父泰親の
菩堤のために創建した寺院です。
本堂前の狛犬
お寺に狛犬珍しい。
観音堂
芭蕉天神。
信光明寺の22世一誉上人は
将軍拝賀のため江戸へ向かいますが、
駿河国興津で病に倒れてしまいます。
芭蕉(地名)の天満宮へ病気回復を
祈願したところ、病が癒え、
将軍家への拝謁を無事済ませる
ことができました。
感謝した上人は、御神体(菅原道真)を
彫刻し、信光明寺の観音堂に安置しました。
ある夜、上人の夢枕に天神様が立たれ
「我を 四辺眺望の地に 祀るべし」との
御神託を告げられました。
岩津山の頂きに神祠が建立され、
岩津天満宮が創建されました。
明治の神仏分離により、芭蕉観音は
信光明寺に戻されました。
本堂前の狛犬は芭蕉観音のもの?
牛はいないけど…
信光明寺と岩津天神の関係、
初めて知りました。
岩津城址
以前から気になっていました。
行ってみることに。
登山道にはお地蔵様
空堀と土橋
登山道整備中。
地元有志の方が整備していると
聞いていましたが、かなり本格的。
ここが本丸跡なのかな。
夏に行くと蚊との戦いになります…
ポツンと岩津城址の碑
土塁の上に建ちます。
岩津松平家の祖とされる
信光によって築かれた城。
1571(元亀2)年に武田軍が
三河に侵攻した際に一度廃城と
なりますが、1584(天正2年)の
小牧長久手合戦の際に
徳川家康によって改修されたと
考えられています。
山を一周する形で遊歩道を整備中。
岩津天神(岩津天満宮)
石段を登ります
参道途中の岩津稲荷
境内に着きました。
狛犬さんがお出迎え
天神様の牛と拝殿
コロナ禍のため、心の中でなでます。
岩津天神の起源は信光明寺で書きましたが、
明治の神仏分離で信光明寺の管理から離れ、
岩津村の管理になりました。
1879(明治12)年火災で社殿を焼失。
再建に人造石の生みの親 碧南の
実業家 服部長七に復興支援を仰ぎます。
以来、服部家が神職を努め、服部長七を
中興の祖としています。
鷽かえ(鷽替え)
鷽=嘘
前年にあった災厄・凶事などを嘘とし、
本年は吉となることを祈念して行われる神事。
筆塚
曲水の庭
人形の紙人形を流し、厄を流します。
社務所の前ではプランターで稲を育ててます。
次の目的地に向かいます。