豊田散歩の続きです。
●樹木神社
樹木地区の氏神様です。
江戸時代、挙母藩の町は今の挙母神社付近に
広がっていました。
しかし、矢作川の度々の洪水に悩まされ、挙母城は
高台の樹木地区に移転しました。残ったのは、下町
地区の五町(喜多町、西町、神明町、竹生町、中町)、
移転したのは樹木地区の(本町、東町、南町)に
なります。
樹木地区の氏神様は、元々は挙母神社なので、
挙母祭りに参加しています。
ちなみに、山車と山車蔵も このとき移転しました。
豊田市で多くみられる妻入り型の舞殿。
挙母神社が総氏神様になりますが、各町は
それぞれ氏神様を持っていました。
本町:津島神社、鴻ノ巣稲荷社
東町:白山車
南町:八幡社
これらは町の移転とともに、樹木地区に
移転してきました。 明治時代の神社統合により、
津島神社のあった この地に合祀され、樹木神社に
なりました。
社殿の前には門があります。
狛犬さん。挙母神社の狛犬さんと似ている。
これも豊田市に多い妻入りの拝殿。
奥の本殿と摂社。
この摂社が合祀された八幡社と白山社なのかな。
境内にある鴻ノ巣稲荷社。
社殿はなく、石碑のみ。
ここで、地元(?)の方に声を掛けられました。
山車蔵と神社を見に来たと言うと、いろいろと
町の歴史を教えて頂きました。
(30分以上話し込んでしまった・・・)
《聞いた話し》
・3町は移転したが、好き勝手に移転したので、
区割りがなく、3町の町民が 混ざり合って
暮らしていた。故に山車蔵の位置も意味がない。
・3町は移転したが全町民が移転したのではなく、
残った人たちもいた。
・旧東町の山車が唯一 神社の東側から宮入り
するのは、神社東側の旧町内を巡っているため。
試楽のときは3町は樹木地区だけを巡行(三町曳き)
するが、東町だけは旧町内も曳かれる。
・挙母神社の南側のエリアが移転した3町があった
場所だが、このエリアに山車がなく、平成になって
『宮前』の山車が製作された。
挙母祭りへの参加を要望しているが、参加する
ことはできない。
・下町地区の神明町の住人も、洪水のため小坂町に
移転しており、神明町と小坂町が合同で山車を出して
いる。ただし、中心を担っているのは神明町。
故西澤眞蔵之碑。
平戸橋町の枝下用水の開削に私財を投じた
明治時代の実業家。この樹木地区は枝下用水の
恩恵を受けた地区。
話し込んでしまったため、先を急ぎます。
●七洲城
しちしゅうじょう。
先に説明したとおり移転してきた城。
水害のため童子山に移転しました。
「三河(愛知県東部)」「尾張(愛知県西部)」
「美濃(岐阜県南部)」「信濃(長野県)」
「遠江(静岡県西部)」「伊勢(三重県北中部)」
「近江(滋賀県)」の七州が見えたことから
この名前になったとか。
挙母神社御旅所の碑。
挙母祭りには御神輿も出ますが、ここまで来ていたのかな?
復元された隅櫓。
遺構はこれしかありません。
幕府から築城が許されない江戸時代に移転ており、
天守閣は もともと無かったそうです。
挙母城址の碑。
●豊田市美術館
七洲城の周辺は公園整備され敷地内に美術館が
あります。 個人的には興味のない企画展ばかりですが。
豊田市街地に戻ります。
先回のブログで国際体操をやっていて混んでいたと
書きましたが、豊田スタジアムでやっていたのは
ラグビーだったそうです。
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2015.12.12 樹木神社と七洲城
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